タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』新訳刊行については、これまで当ブログでは2回にわたってお伝えしてきた。これまでの当ブログ記事は ↓ こちらである。

2022/03/12 タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』の新訳が出るらしい

2022/04/06 【続報】 タリアイ・ヴェーソス『氷の城』新訳が届いた。コレクション全3巻の構成も明らかに!

そして、2022年4月9日(土)

翻訳者・編集者によって講演会が行われた。

翻訳者と編集者がノルウェーのこと、タリアイ・ヴェーソスのこと、『氷の城』のこと、翻訳の苦労話などを語った。

翻訳者と編集者がそこでタリアイ・ヴェーソスを存分に語り尽くしてしまったのである。

ところで、私も情報収集のためこの講演会のZoomミーティングの末席を汚してみた。非常に充実した内容であり、この場を帰りて関係者の皆様には感謝を申し上げたい。講演会(読書会)の具体的な内容については、主催者と参加者のプライベートな情報でもあるのでここでは書かず に、一般公開されている追加情報と個人的な所感のみを述べてみたい。

※ 2022年4月30日追記: 当日の講演会(読書会)の内容をまとめた記事がアップされた。貴重な写真も多数あり、作品理解に大きく役立つと思う。とくに「おわりに」の部分は「作品の内容に触れている」とのことだが、むしろ事前にご一読されることをおすすめしたい。
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第11回ノルウェー読書会 『氷の城』開催しました - norwaybooksのブログ


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編集者によるnote記事が公開

講演会の中で紹介されたのが、今回のシリーズを企画した編集者の(昂)氏によるnote記事が公開 (2022/04/08) されたことだ。さすが今回の企画の仕掛け人の編集者だけあって圧巻の長文だ。
 
こちらがリンク
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note記事 | 〈人間の孤独と不安を繊細に描いた、20世紀ノルウェー最高の作家〉タリアイ・ヴェーソスについて

特に 5.装幀&装画の秘密 の項ついては必見である。

(これを読んで、装幀の写真も見ていただければ、圧倒的に 紙の本がおススメ な理由がお分かりいただけるかと思う)

『氷の城』は、究極のハイ・コンテクスト小説か

さて、今日はこのnote記事の文中、「 ハイコンテクスト 」というキーワードが書かれているのに注目したい。まさに、タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』の魅力に直接関係のある点だと思われるので、以下、ややダラダラとした個人的な所感を交えて語ってみたい。

コミュニケーション文化の種類として、ロー・コンテクストハイ・コンテクストがあるという。どっちがどっちかたまに混乱するので以下にまとめてみる。

項目文脈や価値観の前提言語での説明具体例
ロー・コンテクスト (low-context)論理的な説明、単刀直入
ハイ・コンテクスト (high-context)以心伝心、暗黙の了解、行間を読む

このキーワードを知ったのは異文化コミュニケーションの講座だったと思う。日本はハイ・コンテクスト文化であると言われてきた。一方、(特に英語圏との)ビジネスではロー・コンテクストでのコミュニケーションが大事だという話である。私はというと、仕事ではロー・コンテクストスタイルだ。システムエンジニアで、最近ではすっかりテレワークなので、仕事のメールやチャットでは、可読性と、曖昧さを排除した一点の曇りもない論理性を心掛けて文章を書くようにしている。とはいえ「読めばわかるのに読んでくれない」、「質問に対し、読み方によっては真逆の意味にもとれる文章で返してくる」という文章力・読解力に難ありな相手に常ひごろ苦慮していることもあるので、やはりコミュニケーションというのは相手あってはじめて成立するものであることを痛感するのであるが・・・(そんな私も第一声をYes/No…But…の形式で答えろというロー・コンテクスト原理主義者にこっぴどくやっつけられることもあるので、まだまだ上には上がいる)

2022/09/10 記事 ナン・シェパード(Nan Shepherd)『いきている山』(The Living Mountain) 邦訳がついに刊行される予定!

こう言っても、IT業界のコミュニケーションスタイルが良いと思っているわけではない。語尾を伸ばさない英単語(「コンピューター」ではなく「コンピュータ」)には業界外のほとんどの人が違和感を抱くだろうし、「脆弱性(ぜいじゃくせい)」、「可用性(かようせい)」、「成果物(せいかぶつ)」というような日本語らしくない日本語、空疎なプラスチック・ワードが横行しているなか、それらを得得(とくとく)として使ってしまっている自分がいる。「させていただく」という表現も耳障りなほど多用されているし、やや嫌悪感を感じつつも多用してしまっている自分がいる。金融系の相手から「平仄(ヒョウソク)」を合わせに来られたら、こっちもひょいひょいヒョウソクを合わせてしまうし、資料を「連携(レンケイ)」されようものなら、社内のメンバに即レンケイしてしまう。情に棹(さお)さして流されているのは他でもない自分であることに気づき、いささか居心地が悪いのも事実である。

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やや話が脱線したが、私のロー・コンテクスト・スタイルはあくまで仕事上のコミュニケーションに限って便宜上に採用しているに過ぎない。趣味の上では、クラシック音楽や、現代アートといった極めてハイ・コンテクストなもののほうを好んでいる。また、言葉では適格に言い表せない概念を情景に仮託してシンプルに表現し、受け手もその機微を感じ取ることができるというのが、旧くは萬葉集の時代から連綿と続く日本人の文化ではないかと思っていて、こうした文化がすたれていくとしたら寂しく思う。真の読解力というのは、ハイ・コンテクストなやり取りの中でこそ発揮されるものではないだろうか。ところが、最近の文部科学省が進める国語教科書では契約書のような実用的文章を重視する方針がでているというし、子どもたちの間で人気のコミックの世界でも、登場人物の心の中を地の文で説明し尽くすスタイルが人気を博す傾向があると聞くと、なんとなく危機感を感じてしまう。

そういう点で、タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』は、(こと今回の翻訳をよむ日本の読者にとっては)究極のハイ・コンテクスト小説といえるかもしれない。
ここでいうハイ・コンテクストとは、「ひとつ宜しく」を「ワン・プリーズ」と言ったという社長の話(たしか米原万里氏の本で読んだと思う)のような粗雑なハイ・コンテクストではなく、シンプルな言葉で複雑な行間を伝えるという意味での良質なハイ・コンテクストである。

上記のnote記事にもあるが、タリアイ・ヴェーソスの小説は 「telling(語る)」ではなくて「showing(見せる)」 のスタイルだということで、今回の翻訳者もこの点を特に意識したということだ。そのため、この翻訳で、日本の読者は、ノルウェーという日本とは気候・風土も全く異なる場所を舞台にしながらそれらについて説明されないというハイ・コンテクスト、さらに作中の会話や描写のハイ・コンテクストなスタイルという 2重のハイ・コンテクスト に向き合うことになる。ハイ・コンテクストであるがゆえにこの上なく面白く、魅せられるのだ。

※ハイ・コンテクストなのは日本だけかと思うと、たまに欧米の作家でもビックリするようなハイ・コンテクストな小説に出くわすこともあるので一概に言えないのかもしれない。(バーナード・マラマッドの『レンブラントの帽子』、『テナント』 が思い出される)


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タリアイ・ヴェーソスは、周囲から自作の解釈について問われても、(自分の娘にすら)正解をあえて明言しなかったことがあったという。だから、タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』についても、謎めいた “あのこと” が出てくるが、こうしたネタバレからはそっとしておいて欲しい。

こうした作家としてのスタンスにはどこかサリンジャーっぽさも感じることだ。(「解釈」を避けるため、作品に訳者のまえがき、あとがきを付けることを禁じたことで知られる)サリンジャーも異常なまでの詳しい描写からロー・コンテクストに見せかけて、その実だまし絵のようなハイ・コンテクストな世界を展開するが、もしやり過ぎな程のネタバレが大好きという方がいらっしゃったら、サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』の第1作目『バナナフィッシュにうってつけの日』(これは既読の方も多いと思う)を読んでから 『謎ときサリンジャー――「自殺」したのは誰なのか』(新潮社) を読むことで欲求不満を解消していただければと思う。


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ちょっと語り過ぎたので、今日はもうこの辺で。

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国書刊行会 タリアイ・ヴェーソス 氷の城

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